岩手県 パーソナルトレーニング お腹痩せ

岩手県初ボディメイク専門加圧トレーニングスタジオ「T-LABO」

スタジオ開店から6周年・・なぜパーソナルトレーナーの道を選んだのか?

 


先週末からの“別府”研修の旅。

移動時間は“意外と短いなぁー”と思っていたら
“福岡空港”でまさかの“オチ”が…

2時間以上の遅延。
更にドアのトラブルで+30分の延長。

先日の名古屋同様、フリーの時間をたくさん提供していただきました(笑)

 

考えていたのは

 

“トレーナー始めた理由ってなんだっけ?”

 

みたいなこと。

スゴーく“長い”回想になりますので、お付き合いしていただけたら嬉しいです。

ワタクシ…

入学した高校は県内でも屈指の進学校でございました(確か当時、学力は岩手県で三番目)

 

しかし、

中学のころ全く大学に進学など興味もなく、

 

“商業高校に入って卒業したらどっか岩手の企業に就職して働こう”

 

くらいに考えておりました。

 

が、ここでワタクシの親が登場。

 

『○○高校に行きなさい!』

 

『オトコは進学しなきゃダメだ』

 

更には、

 

『高校生になったら何も口出ししないから』って。

 

 

商業高校行くって友達にも約束してたし、

 

今更なぁー

 

と思いながらも結局

 

どっちでもいいや

 

になって○○高校に希望を変えたんです。(当時は親の言うこと聞いてたんですね。ちなみにワタクシ、結婚する時も今の仕事始める時も親には事後報告でしたが、笑)

 

でも希望校変えてからは必死に勉強しましたよ!!
(最終的には成績は一番になりましたけど)

 

いざ高校進学。

 

親からは

 

『もう何も言わない!』

 

って言われたんで、高校入ってからは勉強することを諦めました。(中学と比べられないくらい難しかったし、進むのがメチャメチャ早かった)

 

高校入って一発目のテストが見事

 

“下から二番目”

 

中学に一番とって高校一発目が下から二番目(どうせなら下から一番でよかったけど)

 

ここから勉強が全く分からない“暗黒”の高校時代が始まって…

 

部活もやってたけど、高校最後の大会は一回戦負けでした(新聞に○○高校敗れる!って見出が)

 

何もかもが中途半端で、みんな大学進学してるのに確かクラスでは自分だけが専門学校に行くことになりました。

 

特にやりたいこともないけど、大した実績もないから試験が書類審査だけの札幌にある“体育”の専門学校を選んだんです。(今思えばここがトレーナーになる始まりでしたね)

 

 

専門学校もテキトーに卒業して、スポーツ指導者の資格も取得したんですが特にやりたいわけでもなく、岩手に帰ってきて“求人票”がたまたま来てた会社に入社しました。(本当に中身のないダメダメな人間でしたね)

 

 

ワタクシ、20代は本当にトンガってて、サラリーマンによくある上司に

 

“愛想振りまく”

 

なんて出来るはずもなく、

間違いなく上には

 

“嫌われて”

 

ました。

 

 

それから入社して4年…20代半ばのことでした。

 

やりたいことが見つかったんです。

 

 

職種は“カイロプラクティック”

 

カッコ良く言えば

 

“治療家”

 

です。

 

 

当時の上司に

 

“会社辞めます!”

 

“独立します!”

 

って言って

 

その道に突き進み始めたんですが、
ここで家族からの大反対。

 

そして諦めるという最悪の結果に・・・

 

結局、会社に戻り謝罪。

部署移動と降格処分で上司が年下。

 

まぁ辛かったですね。
(後にこの経験が今の独立の後押ししてくれたのは間違いないです)

 

更には、当時公園で何人かの人たちと花見してたら“チンピラ”にからまれてしまって…

 

なんかボロボロの毎日でしたね。

 

その出来事がメチャメチャ悔しくて、何人相手でも助けてあげられるくらい強くなりたいと思い翌日

 

“空手道場”

 

に入会したんです(それくらい悔しかった)

 

 

 

月日が流れ30歳の自分。

 

仕事は相変わらず上からの

 

“嫌われ者“

 

でしたが

 

自分の業績は好調で表彰もされていました。(偉そーにしてタバコばっか吸ってる会社のクソ親父どもが本当に嫌いでしたね)

 

更には、5年前始めた

 

“空手道”競技にて

“岩手県選手権大会『優勝』”
(この奇跡的な優勝がスポーツの世界で生きる後押しをしたのは間違いありません)

何故か変な達成感を覚えて、その後すぐ会社辞めました。

 

 

仕事と趣味両立したんだから何処でもやって行けるだろう!って(笑)

 

 

考え甘かったですけどね(子供三人いましたし)

 

 

でもって、今の仕事始める前に入社した会社。

 

以前の会社であんなに上司に嫌われてた自分が

 

“まさかの”出世街道に。

 

だって入社したときの先輩が辞めるときみんな部下になってましたから。

 

でもって、

その会社に在籍中にあった最大の出来事

 

“東日本大震災”

 

あの出来事が自分を大きく変えてしまいましたね。

 

自分の人生においてあんなにも残酷な風景を目の当たりにすることがあるとは…

 

一度しかない人生、折角この世に生を与えられているのだから

 

“やりたいことやって生きて行こう!”

 

そう誓いました。

 

 

でも自分がやりたいことって?

 

体育の学校出て、スポーツ指導者の資格はある。

運動は好き。

トレーニングも当時、家の中でひたすら頑張ってやってました。
仕事が運動指導者でもないのに加圧トレーニングの資格を取得(資格取得費〇〇万円)
加圧トレーニングはマンツーマンでしか指導出来ない。

 

人と関わるのは好き。
でも大人数の中は嫌い。
団体行動がメチャメチャ苦手。

 

そうなると…

 

“パーソナルトレーナー”

 

しかない!

これが始まり。

 

では何故“女性”を指導してるのかって?

 

ワタクシ、

三人兄弟で末っ子、上は姉二人。
子供が三人。全部女の子。

仕事は、パートのおばちゃん(女性)を相手にすることが多かった。

 

 

思えば周りがほとんど女性だら(笑)

 

 

 

男性は上から目線や自分に張り合ってぶつかってくるヤツが多いから嫌い。

 

会社員の頃、偉そうな親父たちが嫌いだったのも理由の一つ。

もうこうなったら女性の指導しかないですからね(笑)

 

 

初めてパーソナルトレーニングの指導したのも女性でしたし、

その女性のこと本当に本当に大切に思ってましたから…

 

その女性のお悩みが

 

“脚の太さ”

 

そして

 

“お腹のプヨプヨ”

 

だったんです。

 

 

それが現在のスタジオのコンセプトである

 

『美クビレ·美脚づくり専門』

 

に繋がっておりました。

 

長くなりましたが…

 

こんな経緯で

 

“パーソナルトレーナー”

 

って仕事始めました。

 

 

まぁ、いろんな葛藤や挫折ありましたが

 

 

無駄なことはなかった

 

 

って今はそう思えます。

 

別府から帰る時に、人生ちょっとだけ振り返ってたら以上のような感じになりました。

 

 

以上、

私(髙橋)がパーソナルトレーナーになるまでの生い立ちでした!

 

パーソナルトレーナーになった理由    コメント:0

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